立教大学の陳夢瑶氏は、著名な社会学者エヴァ・イルーズの理論を分析し、現代人が恋愛で感じる「苦しみ」の正体について発表しました。現代の恋愛の苦しみは、個人の性格の問題ではなく、社会に浸透した「治療的ナラティブ」という説明の枠組みによって増幅されています。
今回のポイント
- 恋愛の「痛み」と「苦しみ」は別物であり、後者は社会的な意味付けによって生まれる。
- 現代特有の「治療的ナラティブ」が、恋愛の悩みを個人の心理的欠陥にすり替えている。
- 「自立した自己」と「他者からの承認」という矛盾する要求が、苦しみを増幅させている。
なぜ自由なはずの恋愛が、私たちをこれほどまでに苦しめるのか?
かつて恋愛は、家同士の結びつきである結婚の「外側」にあるものとして認識されていました。しかし近代化が進むにつれ、ロマンチック・ラブ・イデオロギー(恋愛・結婚・性が一つの幸福なパッケージであるとする信念)が主流となり、恋愛は人生の最重要事項へと昇格しました。
現代では少子高齢化や「若者の恋愛離れ」が叫ばれる一方で、マッチングアプリの普及や多様な性のあり方の可視化により、恋愛の重要性はむしろ拡大しています。自由になったはずの恋愛において、なぜ私たちは依然として「排他的な異性愛関係(一対一の男女の付き合い)」に縛られ、そこで生じる葛藤に消耗してしまうのでしょうか。陳氏は、この問いを解き明かす鍵が、社会学者エヴァ・イルーズの提唱する「痛み」と「苦しみ」の概念にあると考えました。
エヴァ・イルーズの文献から読み解く「恋愛の社会学」というアプローチ
陳氏は、イルーズの主要著作『Why Love Hurts(なぜ愛に傷つくのか)』を中心に、恋愛という感情がどのように社会や資本主義と結びついているかを分析しました。本研究が注目したのは、私たちが無意識に使っている「言葉」や「物語」の歴史的な変化です。
研究の手法としては、イルーズが記述した歴史的な文脈を追い、恋愛に伴う不快な感情を「痛み(pain)」と「苦しみ(suffering)」に厳密に分けて考察しました。ここでいう 痛み とは、相手の無関心や裏切りから直接的に生じる感情の衝突を指します。対して 苦しみ とは、その痛みを自分がどう解釈し、どのような意味を与えるかという文化的なプロセスの結果として生じるものです。つまり、私たちがどう「物語る(ナラティブ)」かによって、痛みが耐えがたい「苦しみ」に変わるかどうかが決まるのです。
現代人を追い詰める「治療的ナラティブ」の正体
研究の結果、現代の恋愛における苦しみの質が、かつての時代とは決定的に異なっていることが明らかになりました。その中心にあるのが、治療的ナラティブ という装置です。
かつての時代(前期近代)において、失恋や片思いの苦しみは、道徳的に「高潔なもの」として称賛されることすらありました。しかし現代では、恋愛がうまくいかない苦しみは、「不幸な子ども時代」や「パーソナリティの欠陥」の表れであると解釈されます。「あなたが恋愛に苦しむのは、親との関係に問題があったからだ」「自己肯定感が低いからだ」といった説明がその典型です。これをイルーズは、健康回復のために克服されるべき「病気」のような扱いであると指摘しています。
この治療的ナラティブは、現代人に以下の二つの相反する要求を同時に突きつけます。
- 自らの唯一性の確立:特定の他者から「君だけが特別だ」と認められ、愛されることで自分の価値を確認したいという欲求。
- 確固たる自己の構築:他者に依存せず、一人でも立派に生きていける「自立した個人」であれという社会的要請。
この「誰かに必要とされたい(依存)」と「自立していなければならない(自律)」という矛盾が、現代人の痛みをさらなる〈苦しみ〉へと増幅させる悪循環を生んでいるのです。私たちは治療的ナラティブに頼って自分の苦しみを「癒やそう」としますが、その説明自体が新たなプレッシャーとなり、根本的な解決から遠ざけられているというのが、イルーズの鋭い指摘です。
日常生活への応用:恋愛で自分を責めすぎないための視点
この研究の知見を私たちの生活にどう活かすべきでしょうか。最も重要なのは、恋愛の苦しみを「すべて自分の性格や過去のせい」にしないことです。
例えば、パートナーとの関係で不安になったとき、すぐに「自分がアダルトチルドレンだからだ」とか「自分に自信がないからだ」と自分を分析し、修正しようとする必要はありません。それは、社会が用意した 治療的ナラティブ という、たった一つの答え方に無理やり自分を当てはめているだけかもしれません。
以下のステップで、自分の感情を客観視してみましょう。
- 痛みを認める:相手に無視されて悲しい、という純粋な「痛み」をまず否定せずに受け入れます。
- ナラティブを疑う:「私が未熟だからこうなるんだ」という自動的な解釈が、社会的な刷り込み(治療的ナラティブ)ではないかと考えます。
- 別の物語を探す:恋愛だけが自分を証明する手段ではありません。友人関係や仕事、趣味など、別の評価軸(ナラティブ)を生活に取り入れ、一つの価値観に依存しないようにします。
イルーズは、治療的ナラティブが「役に立つ」からこそ広まったことも認めています。しかし、それ「だけ」が正解になると、私たちは逃げ場を失います。複数の「答え方」を持つことが、現代の恋愛の苦しみを和らげる唯一の道なのです。
今後の展望:多様な「愛の語り」を求めて
陳氏は論文の最後で、治療的ナラティブの特権性を相対化し、別のナラティブの可能性を模索することの必要性を強調しています。恋愛を「個人の心の健康問題」として閉じ込めるのではなく、社会的な構造の問題として捉え直す視点が、今後さらに求められるでしょう。本研究は、理論的な文献分析に基づいたものであり、個別のケースにおける具体的な治療法を提示するものではありませんが、私たちの「悩み方の癖」を根本から問い直す強力な視点を提供しています。
参考文献
陳夢瑶. (2025). E.イルーズの社会理論における恋愛の痛みと苦しみ――オルタナティブな関係性の今日的可能性——. 立教社会学, (2), 67-68.
Illouz, E. (2012). Why Love Hurts: A Sociological Explanation. Polity. (久保田裕之訳, 2024, 『なぜ愛に傷つくのか―――社会学からのアプローチ』 福村出版.)

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